自分の領分をわきまえる
多分今日は頭の中がぐるぐる回っていて、いい状態じゃない。
僕は、シリアの戦争を止めることができなかった。
そんなことを勝手に風呂に入りながら考えていた。
考えながら、いやーな気持になっていた。
僕という人間は、もともとそんな遠くの国のことに責任を持つことは(がんばれば一部貢献できるのかもしれないが)容易にはできないだろう。
現代社会が発達し、グローバルな情報が届くようになった。
そのせいで、自分が考られる範疇以上の出来事や情報にさらされているように思う。
そもそも人間が処理できる情報の量は、昔からそれほど変わっていないと思う。
そう考えると、おそらく農耕民族だったであろう僕(根拠不明?)が処理できる情報量や責任の範囲というのは、今でいうと町内とかいうレベルで起きている出来事に対してとか、たまーに旅でやってくる人が持ってくる、他の村の世間話、程度なものじゃないだろうか。
そんな頭しかないのに、自分が行こうにも行けないくらい遠い国の人のことを、責任持って考えられるわけがない。
シリアの戦争について考えを巡らせたり、学んだりすること自体は、大事だと思う。むしろすべきことだとも思う。
でも情報がグローバルになったからって、僕が考えられる容量や、責任の取れる範囲はそれほど広がらない。
自分の領分をわきまえなきゃ、と思った。